子どものためにも、親へのケアが必要だった
「協力休園」という形で園児を受入れた6月19日(火)と20日(水)。「摂津峡認定こども園」では、19日は5人、20日は20人の子どもが登園しました。また、「浦堂認定こども園」でも、19日に10人、20日に52人が登園しました。保護者の中には消防関係に勤める方や両親とも行政の職員の方もいました。仕事は休めたものの、被災した家の片づけが大変で預かってほしいという園児も預かりました。
一方、市内の全園が休園した公立保育園では、両親とも災害支援業務に当たらなければならなかった園児が一人いました。その園児を市からの依頼で「摂津峡認定こども園」で預かりました。大谷さんは「他の保育園の子を預かるのは初めてだった。今回は緊急に行政上必要な手続きをとって受け入れたが、子どものためにも、平時から、もし災害・非常時休園になっても保育が必要なときはどの園で預かるというのがあらかじめ決まっているといいなと思った」と話します。
発災翌日の19日(火)の朝のこと。職員がいつもより早く出勤してきました。職員たちは「家にいたら、怖い。ここに来たら、『昨日、また余震があったよね』とかしゃべれる」と話していました。その様子を見た濱崎さんは、『そうか。これは、親も不安に違いない。親をケアしなければならないんじゃないか…』と思い当たりました。濱崎さんは「特に就学前の乳幼児はまだ知識や経験も少ない分、不安や恐怖を自分自身で感じるのではなく、大人の姿を見ることで感じている。親は地震があって家のことを考えたりしなければならなかったり、いっぱいいっぱいだろう。きっと親はストレスを感じているに違いない。それは子どもに影響を与えてしまうことになるかかもしれない」と考えました。
そこで、幸いにも給食の食材に余裕もあったので、在園児の家庭と、地域の家庭に「自宅で過ごすことでの閉塞感やコミュニケーションの不足からイライラが募ることもあるかと思います。親子参加で集まりお話をしながら給食を食べませんか?」と呼びかけました。さらに、週末の6月23日(土)。ガスがまだ復旧しない南部の地域の方々も対象にと広げ、「災害復興支援 おやこ食堂」を開催しました。これらの呼びかけには、Facebookなどを活用しました。
大谷さんは「賑やかにしゃべっとったなあ」と、昼食に訪れた親子の様子を笑顔でふり返ります。「しゃべれる」という場があることで、気持ちは元気になっていました。保育園として、その場を作ることが大切でした。「浦堂認定こども園」では、6月20日の「集いのひろば」に21人の親子、6月23日の「おやこ食堂」には13人の親子が参加しました。
また、在園児に限らず、地域の親子も来てくれたことは、普段から園庭を開放して遊びに来てもらっていたことがその背景にありました。保育園の日々の地域に向けた取組みが災害時に活きたことの一つでした。
子どもへのケア、そして、頑張っている保育士へのケア
親に対するケアを厚くして、大人が落ち着いたタイミングで、今度は発災後の最初の週末。NPO法人日本冒険遊び場づくり協会の協力を得て、ホールを使った「災害復興支援プレーパーク」を開催しました。23日(土)は「就学前の親子」、24日(日)は「小学生低学年の親子」を対象にしました。
濱崎さんは「子どもが自由に過ごせる。親からちょっと離れられるという時間が必要だった。『遊ぶ』ということは子どもにとって大切だけれど、家が大変な状況にあると、それができないままに過ごしてしまう」と、なぜプレーパークを実施したかを話します。このプレーパークには地域の小学生も対象にしました。濱崎さんは「小学生は、就学前の子どもよりも、いろいろと想像してしまう。その分、不安に対する反応は強いのだろう」と指摘します。
23日(土)のプレーパークには、在園児の親が22人、子どもが33人、地域の大人が30人、子どもが27人、幼児が26人の計138人が参加しました。そして、24日(日)には、災害ボランティアセンターからの7人をはじめとする18人のボランティアと子どもが38人、大人が21人が参加してくれました。
震災から最初の週末というタイミングでした。外部のNPOに協力してもらい、高槻市社協が設置していた災害ボランティアセンターからもボランティアに来てもらったのは、発災から5日間、頑張ってきた保育士たちを休ませるという「支援者支援」の意味もありました。
災害のような緊張を強いられる中で頑張っていると、職員には自分自身でも気づかない疲れが蓄積していきます。緊張が解けると、職員の疲労が目に見え始めました。発災から一週間後、社会保険労務士の方からアドバイスを受けました。「大丈夫?」と聞いてしまうと、「大丈夫」と答えてしまうので、「眠れているか?」というように状態をきちんと確認しましょうとのことでした。そこで、事務作業は基本的に延期し、月締めの案件も一週間延ばして休息を優先するようにしました。
こうした取組みを重ねてきましたが、大谷さんは「園児たちの中には、かなり遅れてから反応が出てきた子もいた」と話します。当日は特に不安がっている様子もなく、元気そうに見えていた園児でも1週間ほど経ってから、「夜こわくて眠れない」と言うようになったり、1か月ほど経ってから職員室に特に熱などもないのに「頭が痛い」と体調の不良を訴えてくる子もいました。それまで訴えがないのでなかなか気づくことができなくても、子どもたちなりに蓄積していくものがあるのかもしれません。そうした子どもたちの姿を濱崎さんは「子どもたちは、日常を取り戻す中でこそ回復していくと思う」と話します。
社会福祉法人照治福祉会は、法人として地域とつながって、地域と育ち合うことを大切にしてきました。そのため、大谷さんたちは、地震が発生した後、「自分たちに少しでもできることはないだろうか」と考え、高槻市社協が立ち上げた高槻市災害ボランティアセンターへ手伝いに行ける職員を法人内で募りました。そして、6月25日~7月6日、のべ28人の職員を送り込み、災害ボランティアセンターに来た市外からの地理に不慣れなボランティアを活動場所に送り届けました。一方、大谷さんは「後になってからのいろんな会議で、他の園の様子がようやくわかり、実は困っていたことがあったということがわかった。わかっていれば、保育園同士の助け合いがもっとできたはず」と話します。被災施設の状況をいかに共有していくかは今後の課題です。
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