社会福祉法人 葛飾区社会福祉協議会
先のみえない不安に寄り添う~能登半島地震の避難者支援~
掲載日:2024年10月18日

  令和6年1月1日に発災した令和6年能登半島地震は400名を超える死者(10月1日時点)を出す大きな災害となりました。現在も避難生活を送っている方々が多くおられ、都内に広域避難をされている方もいらっしゃいます。今回、都内避難者の支援をおこなっている葛飾区社会福祉協議会の浅利さん・亀川さんにお話を伺いました。

 

 

 

 

 

きっかけは1本の電話から                 

 能登半島地震から1か月が経った2月上旬、葛飾区社協に1本の電話がありました。お話を伺うと「知人が能登から葛飾区内に避難してきているが、着の身着のまま避難してきたため食料や衣類に困っている」とのこと。葛飾区社協では、ボランティア・地域貢献活動センター(以下、「ボラセン」)が東日本大震災の際に避難者の孤立化防止事業(※1)を実施し避難者支援の実績があったため、今回の能登半島地震の避難者支援もボラセンが担当することになりました。詳しいことをお伺いするため、知人の方に避難者本人と直接やりとりできるようお願いし、服のサイズや必要なものを聞き取りました。その後つながりのあるフードドライブ実施団体から食料を譲ってもらえたり、地域の方から衣類の提供をいただくことができ、翌日には避難者ご本人へお届けすることができました。

 同時期にボラセンでは避難者向けに「社協ができること」のチラシを作成し、葛飾区役所に提供しました。その後区役所の担当者から「避難者の相談に行くので同行してほしい」と依頼を受け、区役所・ボラセン・地域包括支援センターで一緒に80代の女性の避難者の方のもとへ伺いました。「都内に住む子どもを頼って避難してきた」と話すご本人は介護サービス等の必要性はありませんでしたが「ずっと一人でいるのがさみしい。また能登弁でしゃべりたい」という希望をお持ちでした。

 

ひとりの声からうまれた「避難者向けサロン交流会」

 そうしたご本人の気持ちをうけ、まずは避難している方々の連絡先を把握している葛飾区が「避難者向けサロン」を実施しました。その後3月26日に葛飾区社協主催で「避難者サロン交流会」を開催することになりました。開催にむけて、葛飾区からは「都営アパートに10世帯ほどの避難者が入居されているようだ」という情報提供を受けました。そのため、そのアパートのある町会長と地区民児協代表者に事前にサロンの趣旨説明を兼ねてご挨拶に行き、ご協力をいただけることになりました。その後町会長には交流会のチラシ配りへの同行や、当日の参加者誘導のお手伝いをしていただきました。当日はあいにくの雨でしたが、7名(4世帯)の避難者の方の参加があり、東京ボランティア・市民活動センター(TVAC)の職員から現在の被災地の写真の紹介や、司法書士から罹災証明の手続きの話をしていただきました。その取組みから、TVACが主催して6月には近隣の足立区の避難者も含めた交流会、9月に2回目の葛飾区内での交流会の開催となりました。交流会を開催する際には住所の分かる10世帯程度に直接チラシをお渡ししに行きます。実際にお会いできるのは2~3世帯ぐらいですが、会えなかった世帯には封筒に案内の内容を記載しておくなど、なるべく目に留まるよう工夫しています。9月の交流会には6名(4世帯)が参加しました。

 

避難者が抱える思いとは

 「避難者サロン交流会」ではさまざまな避難者の方の声が聞こえてきています。能登に戻るのか東京に腰を据えるのか、という今後の暮らし方や住まいの問題について、都内にいる子どもはこちらにいてほしいと思っているけれど、避難者ご本人は能登に戻りたいと思っているといった家族間での意識の違いもあるようです。「区に同行してつながった80代女性の避難者の方は、お子さんは都内にいてほしいというお気持ちが強く引き留めていましたが、最終的にはご本人の『地元のコミュニティに帰りたい』という思いで能登へお戻りになりました。長く住んでいた土地から離れたくないという思いは理屈ではないと感じます」と話すのは亀川さん。交流会では、避難者同士で思いを共有することはもちろん、ボラセン職員をはじめとしたTVACやCS-Tokyo(※2)、地元のボランティアなどの支援者がお話を伺っています。TVACの被災者支援プログラムに参加したある葛飾区民の方は、両親の故郷が能登にあり、交流会にもボランティアで参加し能登弁でのお話にくわわってくれました。今後ボラセンの災害ボランティアにも登録予定など、新たなつながりもうまれています。

 

 

 

避難者支援をきっかけに自分たちの地域を振り返る

 今回の能登半島地震の支援をとおして、課題と感じたことのひとつに「葛飾区役所との連携の難しさを感じました」と苦悩の表情を浮かべるのは浅利さん。避難者は生活用品等の確保や住まいが不安定であることから、社協としてはできるだけ早くつながりたいと考えていましたが、区の所管課がどこになるのかわからなかったり、個人情報の関係で避難者の情報が社協には届かなかったりしたそうです。しかし支援をすすめていくうちに、社協が作成した交流会のチラシを区役所に相談に来た避難者の方に渡してくれるなど、徐々に関係をつくっていくことができました。また、避難者サロン交流会にはお越しにならない避難者の方とは、電話で個別連絡をとるなどの支援も行っていますが、まだ先が不透明な中でどのような支援を続けていくべきかも課題です。

 その一方、支援をおこなうことで、町会や民生児童委員、NPO、関係団体、地域住民などさまざまな方に協力してもらうこともできました。社協として避難者の支援をおこなうことをきっかけとして、これからもこの関係をつなげていくことはもちろん、地域で社協の役割を知ってもらったり、防災の知識を深めることで、今後別の場所で災害が起こった場合にどうしたらよいのか、また葛飾区が被災したときのことも一緒に考えていきたいと浅利さんと亀川さんのおふたりは口を揃えます。また、ボラセンだけでなく葛飾区社協の職員全体にも今回の支援を活かしてもらえるよう記録を残していくことや、取組みをSNSやHP等でも発信することでまだつながっていない避難者の方をはじめ、ボランティアをしたいと考えている方にも届く可能性があると感じたことからPR方法も検討していきたいとのことです。

 

 今回、常に避難者の気持ちに寄り添いながら、細くても途切れない支援を続けていらっしゃる浅利さんと亀川さんをはじめとしたボラセンの皆さんの取組みを知ることができました。いつどこで起きるかわからないのが災害ですが、今後のために社協として地域となにができるか考えていくことも必要だと感じるお話でした。

 

取材先
名称
社会福祉法人 葛飾区社会福祉協議会
概要
https://www.katsushika-shakyo.com/
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