久保 若菜さん
大阪府北部地震の経験と自分なりに思う「福祉」
掲載日:2019年1月8日
2019年1月号 くらし・今・ひと

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久保 若菜さん

 

あらまし

  • 平成30年6月18日に発生した大阪府北部地震。
    その震源近くに住む久保若菜さんは、京都女子大学家政学部生活福祉学科の4回生です。
    地震で経験したこと、そして、まもなく大学を卒業し、新たな一歩をすすむ今に思う「福祉」をうかがいました。

 

平成30年6月18日の朝、最初にドーンと来る揺れがあり、自宅にいた私はなぜか窓を次々と開けながら階段を降り、外に出ました。午前7時58分、小学生の弟が登校途中だったので、走って迎えに行きました。足は震えるけれど、何かしていないと不安でした。そして、落ち着いてからテレビを見ると、水道管が破裂して噴水になっているのは近所の知っている場所でした。何が起こっているかがわかると、『怖い』という気持ちが出てきました。

 

同じような経験をした人の不安な気持ちを想像できた

ガスと水道が1週間ほど止まりました。お風呂はもちろん料理もできません。その1週間が1か月ぐらいに感じました。1日が長く思えたからです。特に夕方からが長かったです。小さな物音でも目が覚めました。昼間も大学で私が「今、揺れた」と言うと、友達が「大丈夫。揺れてへん」と言ってくれ、そんな感覚は約1か月半続きました。弟も夜眠れなかったようです。先生の厚意で大学の入浴実習室のシャワーを使うことができ、家にないものを「持って帰りなさい」と言ってもらえました。先行きが見えない中、周りの人たちの優しさは私の希望でした。

 

地震発生の当日、たくさんの知り合いが「大丈夫?」と聞いてくれ、「ケガはない」という意味で「大丈夫」と答え続けました。しかし、少し経ってから遠くの先輩に聞かれたときは、具体的に大変なことを説明できました。そして、9月の北海道胆振東部地震。自分の体験を思い出し、北海道の知人に「大丈夫?」ではなく、「電気、ガスとかどう?」と聞き、電気がダメなら情報が足りないにちがいないと思い、こちらで得た情報をまとめて送りました。経験したことで自分が変われたんだなと気づかされます。

 

「自由になれる」を支える福祉は生活そのものとつながっていた

私は小学生のとき、両膝に骨の病気があることがわかり、これまで4回手術しました。そのたびに2〜3週間入院し、退院後はいつも1か月以上のギプス生活でした。高校生の頃、ギプスと両松葉杖で自分なりに工夫して荷物を持っていると、友達が少し持ってくれたり、ドアを開けてくれたりしました。そのとき、人が何かすると、支えてもらう側が「自由になる」というのを感じました。人の助けになるっていいなと思いました。

 

そんな気持ちで大学に入り、生活福祉学科で学びはじめた頃、最初は福祉や高齢者が少し遠く感じられました。しかし、実習を経て自分の学ぶ福祉は生活とつながっていることに気づくと、それが面白いと思えました。例えば、右麻痺の方には左側に箸を置くということ。それは、右利きと左利きで箸の置き方が違うのと同じだと、遠くに感じていたものが身近に見えてきました。

 

そして、3回生、4回生のとき、先輩、同級生、後輩と4人チームで「介護創造力コンテスト」に出場しました。事例が出題され、アセスメントと介護の過程を立案し、それをプレゼンして競い合う大会です。「ああでもない、こうでもない」と言い合ううちに仲間がイライラしてくるのですが、突破口が見つかると一気に希望へと変わるのです。2年連続で第1位になれて、本当にうれしかったです。

 

4月からは高齢者福祉施設で相談員として働く予定です。特養で利用者が亡くなった後、ずっとキーパーソンとして支えてきた家族のことを心配した施設の生活相談員が地域包括支援センターへつなぐ。そんな実践を『いいなあ』と思います。私はなかなか自信が持てないので、自信が持てるようになりたいです。自信を持った支援ができ、それをちゃんとつなげられるように成長したいです。

 

第3回介護創造力コンテストに出場した仲間たちと

 

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