(社福)いいたて福祉会
全村避難の中、事業継続の決断をした特養は~この場所にとどまることで利用者の命と笑顔を守りたい~
掲載日:2018年6月1日
ブックレット番号:7 事例番号:72
福島県/平成30年3月現在

 

東日本大震災が発生した平成23年3月11日。1か月後の4月には、東京電力福島第一原発事故の影響で、飯舘村内の放射線量が異常に高いという事実が報道されました。その後、飯舘村は原発から30km圏外でありながら放射線被ばく量が年間20m㏜を超える恐れがあるとして、同年4月22日に計画的避難区域(1か月以内に計画的に避難する必要がある区域)に指定され、全村民が避難対象となりました。そのような状況の中、村唯一の特別養護老人ホーム「いいたてホーム」が選んだのは「この場所にとどまること」でした。全村が避難する中での事業継続。そこには、自分の家族と利用者への使命感にゆれるそれぞれの職員の葛藤がありました。残った職員は、「変わらない環境で利用者に安心して暮らしてほしい」「原発を理由にケアの質は落とさない」という想いを持ち続け、6年半の間ケアを続けてきました。

そして平成29年3月31日、飯舘村は避難解除の日を迎えました。

 

 

 

「さあこれから」、という時期に起きた東日本大震災

福島県相馬郡飯舘村にある「いいたて福祉会」は、特別養護老人ホーム「いいたてホーム」のほかに、デイサービス、訪問介護事業所、居宅介護支援事業所、保育所を運営する社会福祉法人です。

平成29年9月現在、訪問介護事業所とデイサービスは休止中になっています。保育所は隣の川俣町に場所を移し、仮設保育所として運営を継続しています。

平成9年10月に40床で開所したいいたてホームは、その後3回の増床を行ってきました。平成20年度に3回目の増床を終え、全130床(ショート10床を含む)が満床になることをめざして平成21年4月より新規入所を開始しました。それに合わせて、内定者を含めて140名の職員体制ができた矢先の平成23年3月11日―。東日本大震災が発生しました。

 

地震が発生した3月はまだ寒く、暖をとるために暖房器具を近隣から調達しました。床暖房が止まってしまったため、布団をかけて利用者の体をあたためました。明かりはろうそくや懐中電灯を使用しました。食糧は、実家が農家の職員を中心にみんなで持ち寄り、発電機を作動させた厨房で調理を行いました。

断水のため入浴はしばらくの間中止となり、トイレの水は雪を溶かして使用しました。ホームでは簡易水道(表流水)を使用しており、地震発生から10日ほど経過した時に、セシウムの検出によって水が一時使えなくなりましたが、備蓄や支援物資のミネラルウォーターを使用してしのぐことができました。

 

当初心配していた医療の提供は、1週間に1度、もともと特養の近くにあった社会医療法人の診療所の医師が診察に来てくれました。

職員は利用者が不安にならないよう「大丈夫だよ」と声をかけ続けていました。心配して自宅から駆けつけてくれた非番の職員もいました。

雪の降る寒い中、利用者を守ろうと職員は不眠不休で対応を続けました。しかし余震は続き、情報も少なく不安な日々が流れていくうちに徐々に職員は減っていき、残った職員で職種を問わず介護、食事づくり、物資の搬入までを行わなくてはなりませんでした。

また、はじめの2~3週間は流通も止まり、新聞や郵便物は29年3月末日まで隣町の仮設保育所まで取りに行ったり、他に必要なものがあるときには、施設長や事務長が自ら出かけて調達しました。

 

 

取材先
名称
(社福)いいたて福祉会
概要
(社福)いいたて福祉会
http://www.iitate-home.jp/
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