福島県/平成30年3月現在
職員の責任感や互いを思いやる絆に助けられて
村にとどまることを選んだいいたてホーム。利用者を支える職員は、福島市や南相馬市の仮設住宅からホームまで、片道平均30キロほどの長い距離を1時間ほどかけて毎日通勤してきました。
福島の冬は寒く、道路の凍結や積雪は通勤をさらに困難なものにします。平成26年には70cmの積雪が2回あり、三瓶さんは村役場に除雪を依頼しました。それ以外に、遠方から通って来る応援職員が交通事故に遭うこともありました。
職員の通勤範囲(平成29年9月1日時点) | ||
福島市 | 35km | 23名 |
南相馬市 | 30km | 9名 |
相馬市 | 35km | 4名 |
伊達市 | 40km | 10名 |
川俣町 | 20km | 9名 |
飯舘村 | 10km以内 | 3名 |
合計 | 58名 |
これまでたくさんの応援職員がホームに来てくれたものの、冬の時期に応援をお願いするのは気が引ける思いでした。
三瓶さんは、「積雪の影響で遠回りを繰り返し、大雪の日に14時間かけて通勤してきた職員もいた。利用者やともに働く職員のことを考えて『何としてでもホームにたどり着きたい』という想いでいてくれたのだと思う。早番は朝3時や4時に家を出なければならず、帰りも20時や21時を回ってしまうことがあった。そのような状況でも出勤してくる職員は、疲れているであろう他の職員を気にかけて『自分がはやく行って交替してあげないと』という思いやりを持ってくれていた。その日出勤する職員がなかなかホームにたどり着けずにいる間、自分の勤務が長引いている職員も『誰かが来るまで自分が頑張ろう』という責任感を持っていてくれた」と話します。
いいたてホームで働き続けることを選んだ職員は、長くホームに勤務している職員が中心でした。三瓶さんは「仕事の質も高く、想いもしっかりしている人が残ってくれた。それがあったから今まで続けてくることができたし、今も続いている。残った職員たちは本当に頑張ってくれた」と感謝の想いを話します。
震災後、2年の間に70名の職員がいいたてホームを去っていきました。定年退職した職員もいますが、大半の職員は新しく入った職員が落ち着いた頃を見て順番に辞めていきました。三瓶さんは、「退職を決めている職員は、『せめて新しい職員が育ってからでないと辞められない』という責任感から、ぎりぎりまでホームにいてくれた。ここまで頑張ってくれた職員に対し、そのタイミングで退職を引きとめるわけにはいかなかった。あの当時、それはおそらくどの施設でも同じであっただろう」と言います。
少ないとはいえ、被ばくはゼロではありません。職員の中には、家族と離れた生活をしながら勤務を続けている人もいれば、家族を何とか説得して残ってくれた人、家族の反対を押し切って残ることを決めた人もいました。そして、強い意志を持った職員は雨の日も風の日も、積雪の中の凍結路も乗り越えて通勤してきました。
いいたてホームでは、震災後も数十名の利用者を看取りました。利用者の数も減ったため、職員が減っても、人員配置基準が割れることはありませんでした。しかし、「配置基準が割れるまではいかなかったものの、職員にとって人員不足による負担はかなりあったと思う。避難先の仲間から『まだ(いいたてホームに)行っているのか』と言われたという職員もいた。この状況でさらに職員に無理をさせるようなことがあったら『辞めます』と言われてしまいそうで怖かった」と三瓶さんはふり返ります。
http://www.iitate-home.jp/