(社福)筑水会 特別養護老人ホーム 筑水苑
被害を最小限に抑え利用者を守り、施設自身が早めに立ち直る ~床上64センチの浸水被害を受けた施設が再開するまで~
掲載日:2018年3月26日
ブックレット番号:6 事例番号:55
茨城県常総市/平成29年3月現在

 

2階避難から孤立解消まで

1日午前9時には、申し送りにて利用者の状況を確認し、翌日が通院予定だった透析の方や脱水症状のある方の救助を要請しました。利用者の体調の変化等を注視しつつ、長尾さんは法人本部や県、県老施協と連絡を取り合い、孤立解消後の利用者の避難先の調整を行いました。

県老施協や県対策本部の対応は迅速で、県老施協からは法人本部にFAXで介護職派遣の必要性について連絡がきました。県老施協、茨城県看護協会、茨城県介護福祉士会とは電話で連絡を取り合いました。

2階への避難後、当初は廊下に置いた長机の上の紙に利用者名簿を手書きし、確認した利用者の様子を各職員が書き込むようにしていましたが、情報量が多くなってきたこともあり、翌12日からはホワイトボードでの情報共有に切り替えました。法人としての対策本部は、茨城職業能力開発促進センター(ポリテクセンター茨城)に設け、本部との連絡はホワイトボードを見ながらやり取りをしました。

副施設長の高橋富江さんは、浸水時は施設の外におり、状況を知って駆けつけました。駆けつけた時、施設周辺はすべて水没し、筑水苑だけがぽっかりと浮かんで見える状態でした。

 

市役所、消防署も被災しました。自衛隊は災害があった場所から人を逃がすことはあっても、災害のあった場所に人を入れることは基本的に行いません。異例のことではありましたが、中にいる職員の疲労の問題もあり了承が取れて、11日の午後2時36分に、高橋さんを含む交代要員職員が、発災後初めてボートで筑水苑に入り、同じボートでデイ職員3人が帰宅しました。

ボートで入った高橋さんは、筑水苑利用者の受入れが可能な施設のリストを作成してきていました。水が引いた後にどこにお願いするのか早く判断するためです。「数人ずつバラバラに連れて行くのは大変」、「認知症の方は職員の顔が違うことで悪化してしまうのではないか」などの職員意見にも耳を傾けました。

11日の午後5時52分には、午前中に要請していた3人の利用者が自衛隊によりヘリ搬送されました。2階のベランダに自衛隊へリコプターが近づき、ホバリング(空中で停止している状態)で利用者を引き上げました。

2階避難中は、2階に運んだ備蓄品等で生活をしました。本館の一部を厨房に見立てて食事をつくり新館に運びました。その時に初めて気がついたのが、増築時に本館と新館が2階でつながっていなかったことです。本館から屋根伝いに外に出て、踏み台を使い新館の倉庫室の窓から出入りしました。夜間暗い中では非常に怖い思いもしました。

 

9月12日6時20分本部にホワイトボードを設置
情報を見える化し、これを基に本部と連絡を取り合う。

 

  

夜勤ができる職員が入り、デイ職員3名が帰宅した(11日)

 

 

また、洗い物を出さないように容器にサランラップをかけて食事提供をすると、非常用ライトに照らされサランラップに反射した光を気味悪がり、認知症の方の食がすすまなくなってしまうことがありました。この経験から、使い捨てのプラスティック容器を、ある程度の量備蓄することや、容器として利用できる形状の製品を購入して備蓄する必要性を感じています。

ご飯よりも大変だったのがトイレです。後々反省することになりますが、トイレが使える方にはそのまま使用し、溜めておいた水を流していたため、数か所で汚物があふれるトイレがあり、臭いの原因になりました。一夜明けると、公衆トイレの臭いがしました。簡易トイレは足元がぐらつくため、今後は便器内で排泄可能な固めるトイレを備蓄品にするように考えています。

職員もトイレが使えないので、おむつを装着しました。排泄を気にしてしまい水分を控え、朝から何も食べない、飲まない状態の職員もいました。

2階での避難生活では、利用者は個室に2人ずつの状態になりました。職員はホールに段ボールを敷き雑魚寝しました。本格的に寒くなる前の時期だったので寝具がなくてもしのぐことができました。

 

2階本館から新館倉庫室の窓

 

踏み台を使い出入りする

 

新館倉庫室。この窓から行き来した。

 

筑水苑

施設長 長尾智恵子さん(右)  副施設長 高橋富江さん(左)

 

取材先
名称
(社福)筑水会 特別養護老人ホーム 筑水苑
概要
(社福)筑水会 特別養護老人ホーム 筑水苑
http://www.tikusuien.jp/
タグ
関連特設ページ